行動文化(79)「舞いの武道」

鷹の舞
鷹の舞

ヤマトナデシコ達へ「舞の武道」を贈る

男の条件とは「力」 異存はない が、武道を行動学に置き換えただけでは、わが谷神会もいささかさびしい 酒……まちがえた、「花」なくして何の人生ぞ  

古人いわく、「人はおのれに見合った舞を舞いながら生涯を終える」 なろうことならお互い、生き辛い世を美しく舞いたいではないか 

剣の舞には古来、詩吟にのって舞う勇壮な「剣舞」がある 見ているだけで元気の出る舞いだが、しかし腕力気力だけのことなら強い男はいくらでもいる  

花のない男はつまらない 面白からず候 末法の世 いずこも同じ秋の暮れの宵闇の中に凛として咲き残るキキョウの花――その通り 強さが条件とはいえ、男も汚れてはなりません 汚れても、男でなければなりません

しかし、そもそも「気結びの舞い」などというガラにもない事を企てた動機は、ヤマトナデシコたちをわが谷神会に招きたいからです ナデシコ方には、わが谷神会の「舞いの武道」部門の主役をつとめて頂きたい 

わが国は神代の昔から女性が主役なのです 異国のフラダンスの後塵を拝しているだけでは、ヤマトナデシコの沽券にかかわるのではありませんか 

谷神会では、男どもは稽古場でも舞台でもヤマトナデシコ方の引き立て役、つまりとり抑えられ、投げ捨てられ、斬られるという汚れ役をつとめます 動きが能舞台の「つれ舞い」に似ているという評がありますが、わが意を得たり 強さよりも谷神会は「幽玄」と「優雅」を大切にしたい

しかし、この「気結びの舞い」は目を楽しませるための舞いではありません あくまでも武道の稽古鍛練法の一つ 気結びと体さばきの基礎鍛練が、外見的には優美な舞いに見えるということです 「当て身」も「投げ」も表へは出しませんが、「ここで当身が入る」とか、「これに弾みをつければ投げ技になる」と、見る者が見ればわかる 

外見が優雅な「舞い」なので野中は武術は捨てたのかという声がありますが、そうではありません 「舞い」としか見えない動きの本質は白刃の動きのような勝負術です 私はここにわがヤマトナデシコたちの本質を見ます それでいて、「舞い」としても美しく、また舞うことが楽しいのは望外の仕合わせ ひとときを非日常の世界で羽を伸ばせます 

全国のヤマトナデシコたちに呼びかけて指導者育成にとりかかりますが、ただし受講には条件があります 「天才」と「美女」はおことわり ――その通り あなたは失格 指導者の資質とは「親切心」と「根気強さ」、この二つです どうやら時代は女性の時代に入ったようです 「舞い」としての型を覚えたら、各地に散って自分の道場を作って下さい 支援します ▲▲